ねこのつれづれ

猫と暮らす日々の雑感

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終わりの準備

ちょっと暗い話です。
実際、そんなに暗い性格ではないのですが、
考えていたことを言葉にしておこうと思って。

   *  *  *  *  *

この何年か両親が入退院を繰り返しています。
あとどれくらいという宣告もされています。
何かしなければならないことは何もなく、
ただ何もせず、心だけウロウロしている自分がいます。
何も手につかないというか向き合えていないというか。

今年夫が体調を崩したときに、自分が非常にちっぽけに感じました。
生活がどうなるかとか具体的な不安よりも、
一人でも仕事は続けていくだろうし、猫の世話もあるし、
今までしていたことをただポツンと一人でしながら
暮らしていくのだろうな、なんて漠然と考えていたら、
なんだかひどく味気ない気持ちになりました。

だんだん寿命が短くなっているようで、
親達は祖父母達ほど長く生きそうにありません。
伯父・伯母達もです。
さらに自分は親達よりも・・・。
とはいえ、今のところ大きな病気をしたこともありませんので、
うちの猫達が猫又になるくらいの年月は私に残されていると思うのですが、
いつまでこのコ達と暮らしていけるだろうか、
いくつまで猫を飼うことができるだろうかと考えるようになりました。

最期のそのときに誰かがそばにいることはなかなかありえない。
いてくれるに越したことはないけれど、
それはつまり自分はその人を置いていくことになる。
夫は静かに猫達と穏やかに暮らしていくように思えるけれど、
幕引きを一人でしなければならない状況に夫を残していくのは忍びない。
自分が残される側だとしたら、
最期まで猫を飼っていたいけれど、
私が死んだ後、たらい回しにされるのも困るし、
処分なんて死んでも死に切れない。
このコ達が自由に自立して生きることができないなら、
誰か信頼できる人にお願いしたい。
でも、生き物のことだから、相手のそのときの都合もある。
では、いつまで?と振り出しに戻ってしまう。

「ノラだからダメ」
「雑種だからダメ」
「人間の子供じゃないからダメ」
聞いてもいないし、そんな脈絡の会話でもなかったはずなのに、
突然言われることがあります。
メンドクサイです。

人生の残り時間を考えたら、何ができるだろう。
できるだけ悔いを少なく、よりよく生きたい。
つまらない一時の感情で、目の前の相手と誠心誠意向き合えずに後悔したくない。
あとほんの一歩踏み出せばいいものを、言い訳ばかりを考えて逃げたりしたくない。
自分の不甲斐なさにみじめになって泣いたりしたくない。
残った時間をよりよく生きる。
この『よりよく』は、いわゆる『勝ち組・負け組』なんて価値観に基づくものではなく。
夜、布団に入ってから、
自分のセコさ・いら立ち・ムカつきからとってしまった言動を思い出して、
「あ~~~~~っ!!!」って叫びたくなるようなのはゴメンなのです。

虫でも植物でも犬や猫でも他の動物でも人間でも、
同じ種じゃなくても同じDNAを持っていなくても、
今、目の前で少しでも何かできるなら、
手を差し伸べるのをためらわないで。
たとえその場だけの出会いでも、
「なんだかいい出会いだったなぁ」と振り返って思いたい。
そんなちょっとした「素敵なこと」で心を満たしたい。

猫達は(猫に限りませんが)、自分の不遇を嘆く余裕すら与えられずに消えていきます。
もの言わぬ命です。
言葉や概念を共有していなくても、
好意には好意を返してくれる、私達のかけがえのない友人です。

結論は出せていませんが、今しばらくはこのままです。
寒くなってきて、外猫達が少し元気がありません。
弱ったコを見かけたら、次はどうしようか考えあぐねています。
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